(浜田青陵 著「エジプト雑記」文藝春秋、昭和4年より)
カイロの騷がしい埃の町、出迎へて呉れた案内者サラーも宿屋の感じも、私達に所謂「オリエント」の惡い方面ばかりを印せしめた。此の遊覽地本位の市の、旅客に接する土人と埃及居住者とは、「ホテル」の番頭、給仕人、案内者、商店員と言はず、凡てがたゞ出來る丈けの利益を短時間のうちに占めようと考へ、其の極禮儀や節制をさへ失つてゐるらしく、此の金錢關係以外に、我々と彼等との間に何等人間的の交渉は成立してゐない。

2010年4月6日火曜日

一応撮っとくか、研究風景

光陰矢の如し。エジプト出張もあと1ヶ月を残すばかりとなりました。最初の1ヶ月は生活スタイルの確保のため、2ヶ月目は結構怠惰、3ヶ月目は撤収/ストイックモードとなりました。今は原稿執筆をかかえて、ひたすら考える・・・そしてひたすら記す。授業のために昼間は大学へ行くも、残りは生活の中で原稿を書くというよりも、原稿のなかに生活があるという感じです。二十代から三十代にかけてのロンドンの院生時代を思い出しました。二十年ぶりの似たような生活です。実感した違いは2つ、集中力と体力の低下と、時間の経過がとてつもなく速くなったこと。日本では研究者よりも、良い教師をめざしてきたけど・・・でもこれが、大学研究者の本来の姿だったんだよね。まだまだいけるね!日本の某○浜○立大学での生活、見直さなきゃ。


0 件のコメント:

コメントを投稿