写真は1970年代のものです。
(これはTahrir広場で、エジプト博物館が見えます。今とあまり変わらないか。この辺りは、伝統的に浜田の描いたボッタクリの世界だと私も認める。日本人の友人がいるとか婚約者がいるとか言って近寄って来て、最終的には香水屋等に連れていかれる・・あのパターン。手口が30余年変わっていないというのは、世襲制か?)
(前述のMawardi通り[薔薇水横丁]にあった床屋で、頑固な職人って感じ。この前で、ガッラーベイヤを着たハッサンがカバーブをパタパタ焼いていました。床屋の隣には、優しい兄弟がやっているオートバイ屋があって、イスマイールのMZも散々お世話になりました。入手できない部品は、型からおこしてくれました。)
(カイロ南部メンフィスのラムセス二世像がある建物。二十歳のイスマイールは、愛車MZ---東欧圏のボロボロバイク---に跨がり、暇つぶしによくここにきました。給油時にはガソリンと2サイクル用オイルを混合するのが手間だった。面倒だった夢を今でも見る。)
(ついでに、これもアップしておきます。母とサッカーラのステップピラミッドの前で。母はこの時、今の私より10歳年下です。当時は日本語対応可のエジプト人観光ガイドが育っていなかったので、不肖イスマイールは現地ガイドの通訳のアルバイトをしました。いやあ、我ながら最低級の学生でした。)
こんなのが、1975年前後のエジプトです。イスマイールは2月6日に成田を発ち、それから35年後の現在のエジプトにトリップします。