(浜田青陵 著「エジプト雑記」文藝春秋、昭和4年より)
カイロの騷がしい埃の町、出迎へて呉れた案内者サラーも宿屋の感じも、私達に所謂「オリエント」の惡い方面ばかりを印せしめた。此の遊覽地本位の市の、旅客に接する土人と埃及居住者とは、「ホテル」の番頭、給仕人、案内者、商店員と言はず、凡てがたゞ出來る丈けの利益を短時間のうちに占めようと考へ、其の極禮儀や節制をさへ失つてゐるらしく、此の金錢關係以外に、我々と彼等との間に何等人間的の交渉は成立してゐない。

2010年7月8日木曜日

マラヤ大学一行の訪問

本ブログは「出張日誌」なのですが、出張が終わってからも続けてしまっています。日記をつける習慣も趣味もないのですが、今後は、出張と国際交流関係を中心に更新するつもりです。

6月22日にマラヤ大学東アジア学科のザカリア氏と学生23名が、イスマイールの職場、○浜○立大学を訪れました。













マラヤ大学とは、交流協定の手続きが進んでいます。今年は間に合いませんが、来年からは、学生の交流ができるでしょう。

マラヤ大と言えば、2009年3月に招聘してくださいました。下が当時のポスターです。直前に同じマレーシアのサバ州に用事があったため、日本からではなく、ボルネオ島からマレー半島への出張でした。

イスマイールは、この講演に紋付袴で出向き、講演の最後には居合の演武を行いました。そのため、日本から居合刀を持参したのですが、サバ州のコタキナバルの空港でマレーシア入国した際に早速トラブル。これから、コタキナバル>クアラルンプール>コタキナバル>コタキナバル(帰国前)使う身としては、これだけの数のトラブルがあるわけで、うんざり。そこで、マラヤ大学に連絡して、「文化交流理由で模擬刀を持ち歩く日本人に格段の配慮をお願いします」という手紙をマレー語で書いてもらいました。連絡からPDF受信まで、1日もかからなかったので、マラヤ大学の仕事の速さに驚愕しました。その時の手紙です。これを水戸黄門の印籠のように各空港で見せながらの出張でした。

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